名 称:中乗さん
事業者名:株式会社 中善酒造店(木曽町)
分 類:個別ブランド
[プロフィール]
自然に恵まれた木曽谷の中心、かつては中山道の宿場町で栄えた木曽福島で、慶応元年に創業いたしました。手づくりの酒を先祖代々受け継ぐ小さな酒蔵です。
「中乗さん」というブランドは木曽節また木曽福島を全国に広めたいという思いから、弊社先々代の中沢栄作が立ち上げました、それ以来約60年間「中乗さん」は木曽節とともに愛され、飲み継がれています。
現在、森川杜氏を始め30代の酒造りに情熱を燃やす元気な蔵人たちが、酒造りに取り組んでおります。平成21年の長野県清酒品評会では首席優等賞を受賞いたしました。平成23年・24年の長野県清酒品評会でも上位入賞を果たしています。
名 称:辰野ほたる祭り
事業者名:辰野ほたる祭り実行委員会(辰野町)
分 類:地域ブランド
[プロフィール]
辰野町の松尾峡は明治の頃からゲンジボタルの発生地として知られており、諏訪地方の製糸業の衰退と工場廃水等により水質汚染が進み昭和40年以降ホタルは激減し、絶滅寸前となってしまった。町ではホタル保護に力を入れ、辰野高校教諭であった勝野重美氏に研究を依頼し、先生の努力と町民も協力した結果、徐々にホタルが増え、現在のようにみごとなホタルの乱舞がご覧いただけるようになった。
辰野ほたる祭りは昭和24年に初開催され、以降毎年、商工会、辰野町、学校関係者、各種団体及びJR関係等、町民一体となって構成する「辰野ほたる祭り実行委員会」を中心に、祭りの企画運営を行っている。祭りのメインイベントは町民踊りで、昭和24年にできた「ほたる小唄」をはじめ、子どもから大人まで楽しめる「はひふへホタル」に加え、若者向けの新たな踊りとして平成24年に発表した「龍の大地に集うもの」の3曲を踊り、2,000人を超える参加者で賑わう。ほたる祭りへは、最近では県内外から15万人を超える来場者が訪れ、知名度も上がり、全国版のTVや新聞の特集などでも広く取り上げられ、名実共に全国でも屈指の規模を誇る「ほたる祭り」となっている。
名 称:La CASTA(ラ・カスタ)
事業者名:アルペンローゼ株式会社(大町市)
分 類:事業ブランド
[プロフィール]
1920年代にヨーロッパで生まれた芳香療法「アロマテラピー」を、1986年日本に初めて持ち込み、「からだ本来の力を高めながら、心を癒し、バランスも整える」という精油の力を、もっと「美と健康に役立てたい」との熱い想いから研究を重ねた。
1996年“植物の生命力と癒し”をテーマに、精油を取り入れた日本人のための上質ナチュラルヒーリング化粧品のさきがけとして、「ラ・カスタ」が誕生。さらに2006年にはブランド化戦略の一端として、製造工場の敷地内に、ブランドテーマである“植物の生命力と癒し”を具現化したオリジナルの庭園であり、「ラ・カスタ」の世界観である自然の恵みの素晴らしさや植物のエネルギーを、五感を通して体感できる「ナチュラル ヒーリング ガーデン」を造成。
名 称:佐久バルーンフェスティバル
事業者名:佐久バルーンフェスティバル組織委員会(佐久市)
分 類:地域ブランド
[プロフィール]
平成5年3月、上信越自動車道佐久I.C-藤岡I.C間の開通による高速交通時代を控えて、佐久の晴天率の高さ、広い平坦地を活用した観光イベントとして熱気球ジャパンホンダグランプリを誘致、併せて地元の実行委員会により全国から集まる選手の接待や、観客者向けのイベントを実施した。以降、GWの佐久の風物詩として「子どもたちに感動を」をコンセプトに「熱気球日本選手権」を招致するなど東日本最大級のバルーンフェスティバルとなった。
名 称:諏訪の長い夜
事業者名:諏訪商工会議所(諏訪市)
分 類:地域ブランド
[プロフィール]
諏訪地域(諏訪市・岡谷市・下諏訪町)では2005年より毎年、夏の3日間(昨年度までは2日間)、諏訪湖周16kmに点在する15館の美術館・博物館(昨年度までは16館)を22時まで開館し、一般展示のほかに趣向を凝らしたギャラリートークやコンサート、イベントを行う「諏訪の長い夜」を開催しています。
入館料とシャトルバス利用料を含んだ3日間有効のパスポートを販売し、第8回目の本年は3日間で延べ14,000人のお客様にお楽しみいただきました。「諏訪の長い夜」開催中には、ホテルのロビーコンサートや市民ガイド団体による観光ガイド、パスポート購入者が近隣飲食店で受けられる特典などもあります。
ベルリンでは、一般展示やコンサート、本の朗読を楽しむイベント「Lange Nacht der Museen(美術館・博物館の長い夜)」が毎年開催されており、同イベントを参考に当地でも開催しました。
名 称:白樺リゾート 池の平ホテル
事業者名:株式会社池の平ホテル(立科町)
分 類:事業ブランド
[プロフィール]
当ホテルは戦後四十数年で、観光王国長野でも有数の規模を誇るリゾートホテルとして、確固たる地位を築くことができました。何もない広大な原野であったこの地に、終戦後まもなく開拓者として入植。農業、酪農からスタートし、次第に観光業へと転換を図り、現在の姿になったわけですが、その道程は苦難の連続でした。けもの道程度の道路、電気もないランプ生活、そして容赦のない厳しい大自然。しかしいつの時代もあきらめることなく、とにかく一生懸命進んでまいりました。その情熱のエネルギー源は大きな夢でした。この地を日本一の素晴らしいリゾートにしたいという…。もちろんいまでも、これからもその夢は持ち続けていきます。